2012年6月4日月曜日

摂食障害|疾患の詳細|専門的な情報|メンタルヘルス|厚生労働省


摂食障害とは

疾患概念

単なる食欲や食行動の異常ではなく、1)体重に対する過度のこだわりがあること、 2)自己評価への体重・体形の過剰な影響が存在する、といった心理的要因に基づく食行動の重篤な障害です。摂食障害は大きく分けて、神経性食欲不振症(AN;神経性無食欲症、神経性食思不振症、思春期やせ症)と神経性過食症(BN;神経性大食症)に分類されます。ANには不食を徹底する「制限型」、あるいはむちゃ食いをともなってもそれに対する排出行為で代償しながら低体重を維持している「むちゃ食い/排出型」があります。一方、BNにはむちゃ食いを繰り返しながらも体重増加を防ぐために種々の不適切な代償行為をともなっていますが、ANと違ってやせに至らないことが特徴です。そのどちらにも明確に分類されない摂食障害(例:むちゃ食い障害)は、特定不能の摂食障害(EDNOS)と呼ばれています。世界保健機関(World Health Organization:WHO)が策定するICD-10診断基準では、摂食障害は「生理的障害及び身体的要因に関連した行動症候群」のひとつに分類されており、身体的要因と精神的要因が相互に密接に関連して形成された食行動の異常と考えられます。

歴史

歴史的にみると、ANについて初めて医学的記載がなされたのは、1600年代後半です。神経性消耗"a Nervous Consumption"としての記述が見られますが、病名にANという名称が初めて用いられたのは、1873年にパリ・ピティエ病院のLasegue 医師とロンドン・ガイ病院医師のGull卿によってです。それまで古代~中世の西欧においては、キリスト教文化圏の中で食事の制限(断食)は自己犠牲や身体的欲求の抑制といった「禁欲主義的理想」として捉えられていました。文献によると聖人(シスター)の中に禁欲生活を送り、厳格な食事制限から命を落としたケースの記述も認められますので、これらのケースは身体像に密接に関係した[自己の理想像の追求]という点ではANの概念に一致するといえるでしょう。又時にほかのシスターによって目撃された"むちゃ食い"は、当時は「悪魔の仕業」としてとらえられていました。従って、過食症状の記述は散見されるものの明確な疾病概念としてはとらえられていませんでした。
1970年代に入り、英国のRussellはANの種々の類型を報告した中で、本症の中心的精神病理の変化を反映した一群の症例を報告しました。それは、1)繰り返される過食、2)嘔吐もしくは下剤の乱用、3)肥満に対する病的恐怖の三つによって特徴付けられるANの予後不良型に位置づけられるものです。これにより、それまで曖昧であったBNの明確な疾患概念へと発展し、アメリカ精神医学会の診断マニュアルであるDSMに取り入れられました。
ここで問題となるのは、このように西欧を中心に展開されてきた摂食障害に対する概念が、わが国の患者像にそのまま当てはまるかということです。わが国ならびに香港における質問紙調査によると、制限型のAN患者においては"やせ願望"や"体重や体形への不満"は健常人と程度に差がなく、西欧とは異なっています。果たして、DSMを中心とする操作的診断基準によって「摂食障害」とされている疾患概念は、単一の疾患単位として当てはめることができるのか。これは今後の課題です。


患者数

1998年に全国の医療施設(23,401施設)を対象に実施した疫学調査(図1)によると、患者推定数(罹患率)はANが12,500(人口10万対10.0)、BNが6,500(人口10万対5.2)、EDNOSが4,200(人口10万対3.3)でした。

【図1.摂食障害患者数の変化】

これを1980年以降の結果と比較すると、以下の状況が認められます。

  • 摂食障害全体は1980年からの20年間に約10倍の増加がみられ、とくに1990年代後半の5年間だけで、ANは4倍、BNは4.7倍と急増している。医療機関をすすんで訪れるのは一部であるため、実際はもっと多いと推定される。
  • 同時に行った病型についての調査では、ANが47.0%、BNが39.7%、EDNOSが12.3%であり、それ以前に比べて過食型の摂食障害の増加が特徴的である。
  • 年齢層でみると、ANは10代、BNは20代が多く、推定発症年齢をみると10代の占める割合が年々増加し、若年発症の傾向を示している。すでに10歳から発症する例もまれではなくなった。
  • 男女比は1対20であった。一般に90%以上が女性と報告されている。

一方、欧米の最近の報告では、ANの有病率(一生にかかる率)は女性0.9~2.2%、男性0.2~0.3%です。診断基準を広く適応させた例も含めると、この2倍にまで増えるであろうと推定されています。ただし、欧米の報告ではわが国より早く1980年代から増加し、1990年代にピークに達しているようです。従って、わが国では1980年代に欧米に比して約半分の発症頻度であったのが、20年間で倍近くに増加し、欧米と肩を並べるかやや多くなっているとも考えらます。
BNの有病率に関しては、欧米の報告によると女性1.5~2%、男性0.5%であり、10代女性の有病率は0.3%と少なく、20代から増加します。これはANの動態と異なります。発症頻度に関する地域差をオランダで調べた報告によると、田舎に比して都会では2.5倍、大都市は5倍高いという結果でした。また、時代的変遷を調査した報告では、英国および米国は共に1980年代から2000年にかけて発症頻度は4.2%から1.5%前後に減少しているとされ、発症のピークは1990年代前半であり、その後は減少傾向にあると推定されています。
EDNOSについては、ポルトガルで行った12~23歳女性の有病率調査では2.4%と報告され、摂食障害全例の77%を占めています。13~15歳の思春期女子では4.9%、男子では0.6%でした。EDNOSの中でも、むちゃ食い障害の生涯有病率は米国の調査によると成人女性が3.5%、成人男性が2.0%でした。
以上、わが国における摂食障害の発症頻度は1990年代後半から急激に増加し、欧米並みになってきた印象ですが、ここ10年間のきちんとした全国的な疫学調査がなされていないため、正確な実態のための調査が待たれます。


原因・発症の要因

摂食障害の発症には、社会・文化的要因、心理的要因、また生物学的要因が複雑に関与しており、以下に説明するように、遺伝子-環境因子の相互作用による多因子疾患と考えられています(表1)。

【表1】

社会・文化的要因

前記したように、摂食障害の心理的特徴の中核として、体重や体形へのこだわりや体形への不満があることを述べました。その点、近年のわが国における患者数増加の背景には「やせを礼賛し、肥満を蔑視する」西欧化した現代社会の影響がうかがわれます。つまり、スリムをもてはやす社会、文化の影響です。
わが国では、20代女性の平均体重は毎年低くなり、標準体重の-10%の一歩手前まできています。マスコミや雑誌などでは、スリムになるための広告を毎日のように目にします。個々人の病因は異なっていても、全体として考えると、昨今の摂食障害の増加には、こうした社会的影響も否定できません。

2012年6月2日土曜日


</head><body id="readabilityBody" > <p><span><span><b>学習通信031121</b></span></span></p> <p><span>◎失恋して、食事がのどを通らない……。</span></p> <p><span> </span></p> <p><span>■━━━━━</span></p> <p><span> </span></p> <p><span> 「食」のコミュニケーション機能</span></p> <p><span> </span></p> <p><span> 「食」とは、「作ること」「食べること」 のみにあらず。</span></p> <p><span> いきなりそう言ったら、「え、なに?」と驚くでしょうか。「食」と聞くと私たちがまず連想するのは、「料理」と「食事」。食材をもとに、自分で作ったりだれかに作ってもらったりした料理をいただく。それが「食」ということなのだと、多くの人は思っているはずです。</span></p> <p><span> </span></p> <p><span> でも「食」にはもうひとつ、別の顔があるのです。</span></p> <p><span> それは、「コミュニケーション」です。もっとわかりやすく言えば、「人問関係」。「食」は、この「人間関係」と強く深く結びついています。たとえ、ひとりで作ってひとりで食べる食事であっても、それが「食」であるからには、どこかでだれかの記憶と結びついていたり、だれかの存在が意識されたりするのだと思います。</span></p> <p><span> </span></p> <p><span> ひとりで食べる食事のことを最近「孤食」と呼んだりしますが、「孤」というのもある意味、人との関係性を表す字です。ホテルの部屋の場合だったら「シングルルーム」「ひとり部屋」とあっさり言うのに、なぜ「食」だけ「シングル食」ではなくて「孤食」なのか。それだけ「食」が、人間関係そのものと結びついているからなのでしょう。</span></p> <p><span> </span></p> <p><span> 毎日の生活の中でも、私たちはごくあたりまえに「食」をコミュニケーションや人づきあいの手段として使っています。たとえば、デートの誘いのかわりに「食事に行こう」と言ったり、落ち込んでいる同僚に「ゴハンにでも出かけない?」と励ましたり。ひと昔前のテレビドラマでは、容疑者を取り調べる刑事が「カッ丼でも食べるか?」と相手の緊張をほぐして自白を促す……という場面が、よく出てきました。</span></p> <p><span> </span></p> <p><span> コミュニケーションの機能をはたすのは、そういう特別な食事ばかりではありません。ホームドラマやCMに使われる「食卓を囲む家族」の映像は、「幸せ」の象徴。そこで特別な会話が交わされていなくても、見ている人は「ああ、楽しそうだなあ」としみじみできる。つまり、「家族いっしょに食事を取る」ということ自体がすでに、「この人たちは心が通い合っている」という関係性を意味しているのです。</span></p> <p><span> </span></p> <p><span> もちろん、「食」が伸介するのは、そういうよい関係性、幸せなコミュニケーションだけではありません。毎日を「孤食」しなければならないひとり暮らしの老人の中には、食事のたびにさびしさや不安を味わう人もいるでしょう。せっかくのデートの食事でメニューの選び方や食べ方がどうしても気に入らず、恋が冷めてしまった、という話も問きます。家族が集まっての食卓でも、すべての人の視線がテレビに集中していてひとことも会話が交わされなければ、料理を作った母親はむなしい気持ちにおそわれて、自分の人生を後悔し始めるかもしれません。</span></p> <p><span> </span></p> <p><span> たいていの場合は人と人とを結びつけ、よりハッピーな状態に持っていくのが「食」のコミュニケーションなのですが、一歩間違えば人と人とのあいだを裂き、傷つけることもあるのです。</span></p> <p><span> </span></p> <p><span> また、「食」はコミュニケーションであり人間関係であると同時に、そのときの人間関係のあり方やそこで感じるストレスが「食」に影響を与えることもあります。</span></p> <p><span> </span></p> <p><span> 失恋して、食事がのどを通らない。家族とうまくいっていないので、いっしょに食卓を囲む気にならない。こういう経験を持つ人も多いでしょう。</span></p> <p><span> </span></p>